戒厳令下のフルオさん

- 続 FOOL ON THE WEB -

Twitterなくなる?んだってね

このところTwitterが名前を変えて小鳥のロゴもなくなるみたいな話があったり、コミュニティノートなんて結局トーンポリシングの役目しか果たさない変な機能がついたり、なんだかなんだかおかしなことになっている。

 

まぁ元々バズりかた ー いいねのつき方が万を超えるようになったあたりから明らかにユーザーの構成が変わってきたことを感じていて、乱暴な言い方をすれば日本語の読めない人が増えた。構成が変わった始めの頃は、SNSのような文章によるコミュニケーションに慣れていない人が増えたなーという感じだったけれど、今は明らかに文章読解力も構成力もない人が増え、Twitterの発言の半分くらいになっているんじゃないか? そんでそういう人達に訳のわからない所謂クソリプをつけられるのが嫌になった、元々いるコミュニケーションの上手な人達は、敢えて火中の栗を拾うようなことはしなくなり、今は国内の全ツイートにつくリプの1/3以上は元発言者の意図を理解できていないリプライか、正直何を言っているのだかわからないリプライになっているように感じる。

 

でもこれは単純に "バカが増えた" のではなくて、今までもこういう層は変わらない割合でいたのだろうけれど、今まではこういう人達は議論に参加できなかった。バブルの頃が顕著なんだけれど、あの頃って経済的な(というかバブルに乗れた)格差も激しかったけれど、知識のあるなしによる格差がとても激しかった。ある一定の知識があれば議論に参加できるかというとそんなに甘いもんじゃなくて、知識の深さで厳然たるヒエラルキーというかカーストというか、階層があって、それによって議論に参加できるレベルを制限されていたし、最下層は本当に発言の機会、というか、発言しても目に触れる機会も取り上げてもらう機会もなかった。

 

でもテクノロジーの進歩でそういうところがフラットになり、知識や経験や能力がなくとも、知識や経験や能力がある人と同等の発言力が与えられるようになった。発言力が与えられたことで、その発言者を理解する人にも雑多なレベルの人が集まるようになり、全く専門性のない人でもSNS上の "振る舞い" が上手ければ、実績のある専門家の発言を凌駕するようになった。僕はTLC電気泳動(根源的な原理は一緒だけれど)の画像の違いもわからない人に、コロナの遺伝子変異なんて語ってほしくないんだけれど、普通の人は耳障りが良ければそれでいいのだろう。

 

でもこのフラット化っていうのは、WEBが始めから目指していたもので、良い悪いでいえは良いものなんだろう。確かに平等であることはいいことで、その点については間違いはない。

 

ただ今までの社会って、そういう完全にフラットな発言機会のもとに世論が生まれて社会的通念や政策が生まれてくるようなシステムになっていなかったから、そう、世論でさえなんらかの格差によってフィルタリングされたものだったから、今は、既存の社会システムが、新しいWEBベースによって形作られる社会システムを取り込めず、消化不良を起こしているように見える。

 

こういう時には、その齟齬みたいな隙間を悪意を持って利用しようとする人が出てくるし、少なからず混乱が生じる。今ってまさにその "産みの苦しみ" みたいな状況の真っ最中なのではないかな?

 

既存の社会システムがWEBをベースとした新しい社会システムと融合していく上で、おそらく既存の社会システムによって、新しい社会システムを飼い慣らすような動きも生まれてくるんだろうけれど、それもどうなのかな?という気がしている。僕はどちらかと言うとどころか完全なリベラルな立場だと自分を理解しているけれど、今感じているのは、僕が理想とするリベラルはおそらく既存のシステムにより成立したもので、新しい社会システムにより生まれるリベラルとは相容れないかもしれない、しれないどころか必ずそうなるとさえ思っている。そう、できれば既存のシステムがうまく新しい社会システムを飼い慣らしてほしいとさえ考えているところがある。

 

でもこれって、考え方の道理みたいなことに関しては、極めて "保守的" な思想だよね。

 

と、保守とリベラル(完全な対義語ではないけれど)が逆転しちゃったりごちゃごちゃになっちゃった。これは僕の頭が整理できていないせいかもしれないけれど、こういう逆転やごちゃごちゃって、今後生じてくるんじゃないかと言う気がしている。

 

まぁ社会システムについて、対して理解しているわけでもない僕がこうして発言できるのも、"フラット化" の恩恵な訳です。ちゃんちゃん。

 

と、オチがついたのかついてないのかわからないようなところで神保町駅に着いたのでこの話はおしまい。