戒厳令下のフルオさん

- 続 FOOL ON THE WEB -

理不尽に耐える

今日の起床は7時。妻がいつもよりちょっと早く起きたのか、物音で目が覚めました。仕度の終わった妻の外出と同時にゴミを出しに行くと、昨日ほどではないものの朝からすでに気温が高く、昨日よりも湿度が高く感じました。ジメッとした空気のとおり、空も低く雲が広がっていて今にも雨が降りそうな天気でした。

 

調子が悪いなぁという感覚は昨日をピークに少し改善しているようで、昨日よりは目覚めもよく、起き上がってからの眠気も少ない感じです。しかし朝からどこかに出かけるかという意欲はまだなく、常軌を逸した気温と相まって、涼しい部屋でのんびりと過ごしたいという欲求が強くありました。まぁ無理してもしょうがないと自分を甘やかし、午後ちょっと過ぎまで部屋でゴロゴロと過ごしていましたが、やはり少し気分が上向いているのか、散歩でも行こうかという気分になり、15時ごろから駅前に出かけました。

 

駅前の、よくある讃岐うどんのチェーン店に入り、冷やしかけうどんなどを食べていると、トレイの上に置いたレシートに目が止まりました。「※印は軽減税率対象」。考えてみるとおっかしな制度です。テイクアウトは8%でイートインは10%、同じ商品なのに。消費税増税、軽減税率実施前は、こんなの運用できっこないと言われましたが、すっかり慣れっこになってしまっています。“イートイン脱税” なんていう言葉もほとんど聞かなくなりました。僕はこの「※印は軽減税率対象」という文字を見て、日本人というのは『理不尽に耐える』のが好きな国民なのかなとつくづく感じました。

 

皆が消費する物品には税を薄くしようというなら、何もイートインだテイクアウトだのという低い水準にわざわざ複雑なルールを作って線引きしなくても、消費税導入前にゴルフクラブなどの贅沢品に物品税をかけていたように、ある程度の高価格帯に線引きすればいいのにそれをしない。そして国民もそんな理不尽なルールを嫌々ながら受け入れてしまう。理不尽は抵抗すべきものではなく克服すべきものとして刷り込まれてしまっている。今SNSで軽減税率制度の批判をしている人の声はほとんど聞こえないし、今、軽減税率制度に反対するために “イートイン脱税” をしてSNSに投稿しようものなら、おそらく多くの批判を受けるのではと僕は想像します。

 

終戦の日に絡んで、様々な戦争を題材にしたテレビ番組が放送されていて、いくつかの番組を見ましたが、そのなかの『この世界の片隅に』という映画でも同じ思いを抱きました。僕に語彙がないせいでちょっと説明が難しいのですが、この映画は、『理不尽に耐える』という共通理解がないと見られない映画だと感じました。『理不尽に耐える』を理解していないといけないのは、主人公ではなく視聴者であるという意味においてです。

 

いくら戦前では普通の習慣(本当にそうなのかは知りません)とはいえ、あのような形で結婚させられたり、その後主人公に降りかかる災難であったり、見る側に『理不尽に耐える』能力がないとみるのが苦しくなる映画だと感じました。仮に、『理不尽に耐える』という感覚を自分が全く持たずにこの映画を見直した場合、主人公に降りかかる災難の数々に、僕ならば途中で席を立ちます。この映画が上映された後、この映画の扱いが、主人公の最期の慟哭に胸を締め付けられる映画という扱いから、徐々に戦中の困難を健気に生き延びた人々の映画という扱いに変わってしまったのも、『理不尽に耐える』国民性がそうさせたのではないかと僕は思います。

 

蛇足になるかもしれませんが、同じ戦争映画の『蛍の墓』の感想で、「(おばさんの家での “理不尽な” 扱いに耐えかねて)主人公が妹と二人だけで野外生活を始めるのが理解できない」という感想も、まさに『理不尽に耐える』日本人ならではの感想だと思います。さらに蛇足を重ねれば、学校の訳の解らない校則とか、怪我の危険をかえりみず組み立て体操をさせるというのも、日本社会を煮詰めたような学校社会において『理不尽に耐える』ことが奨励されるが故だと僕は思っています。

 

まぁ、僕が職を失ったのは、色々な理不尽に耐えられなくて精神を病んだのが遠因だろうと思うので、僕が『理不尽に耐える』能力が低いだけなのかもしれません。でも、このコロナ禍の暮らしを鑑みても、『理不尽に耐える』ことばかりを続けていると、僕はいつか破綻が訪れるのではないかと思います。

 

(ちなみに、今日の日記は主張が強いので、アサーションテクニックの一つである “I think” 話法を使ってみました)

 

2020年8月18日 18:35 駅前の喫茶店にて