戒厳令下のフルオさん

- 続 FOOL ON THE WEB -

断定を避ける

今日の起床は7時半。妻の外出のちょっと前に起き、妻を見送りました。その後は4連休の疲れ第二弾がやって来たのかぐったりとしてしてしまって、一日中布団の上にいました。それほどネットを見続けていたという感じでもなく、かといって寝てばっかりいたという感覚もなく、なんだか何もしていないのに時間ばかりが過ぎてしまったという感じです。

 

というところで、日記を書くようになって気づいたことなんだけれども、僕は文頭に何か意味のない言葉をつける癖があることに気づきました。全段落でいうと、「なんだか何もしていないのに…」というところの “なんだか” とか、あともう一つよく使ってしまう接頭語?があるんだけどそれが何だか思い出せない、とにかくなくても良い接頭語?をつけてしまう癖があるようです。別に「何もしていないのに」だけで文意は通じるのに何故だかつけてしまう。最近はそれに気づいて、逆に気になってきて敢えて避けるようにしています。今も、頭に浮かんだナチュラルな文は「最近はそれに気づいて、“なんだか” 気になってきて…」でした。

 

どうしてこういう無駄な接頭語?(こういうのはなんていうんだろう?)をつけてしまうのかを考えてみると、よくある “断定を避ける” 表現に近いのかなと思います。自分が思っている主張に曖昧な接頭語をつけることで強い表現を避ける、断定を避ける意味合いがあるんじゃないだろうか?と感じています。僕は最近もうそちらの方が正しくなってしまった “だ抜き表現” ー「Aさんは〇〇だと仰った」→「Aさんは〇〇と仰った」、「私は〇〇だと考えます」→「私は〇〇と考えます」等ー が大嫌いで自分では絶対使わないようにしているのですが、自分でも気付かないうちに、 “だ抜き表現” と同じように、断定を避ける表現を使ってしまっていたようです。

 

2020年9月25日 23:15 自宅のPCの前にて